2018年4月4日

無題

「晴耕雨読」、それがもっとも人間らしい生き方のような気がする。
晴れた日には畑を耕し、雨の日には部屋で読書をする。
テレビも、勿論パソコンもなくていい。
ただ音楽が聴けて、映画が観られる環境は欲しい。
それでも大きなステレオや大画面のスクリーン(TV)などでなくていい。

「紅 旗 征 戎 吾 ガ 事 二 非 ズ」そんな気持ちで毎日を、残りの日々を、心静かに生きてゆきたい。

自分の口に入るものを自分の手で作り、数編の詩を読んで一日の疲れを癒す。
日記をつけてもそれは人に見せるためのものではなく、本を読んでもそれは知識を蓄えるためではない。



嘗ては文字の読めない人が多くいた。
けれども文字が読めずとも、空を飛ぶ小鳥の囀りを聴くことも、小川の流れに手を浸すことも、馬の背をやさしく撫でてやることもできた。
それはなににも勝る詩ではないか?

聴くことができ
視ることができ
香りを感じることができ
味わうことができ
触れること(触れられること)ができれば、
そこには詩が生れる。

わたしは時々思う、究極の詩とは、言葉を失ったところにあるのではないかと。
言葉がわれわれに教え得る最上のものは畢竟言葉の無力さではないかと。


そんな風に思いながらもわたしは今日も本を読む。


 淋 し く な れ ば 木 の 葉 が 踊 って 見 せ る (放哉)



あとは 沈黙 ・・・





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