2018年4月29日

無題

以前にも書きましたが、ブロガー(Blogspot  / Blogger)は、フリーのブログのなかで、唯一広告が表示されないということで、2007年からNostalgic Lightと同じアカウントで 'Clock without Hands'というアート・ブログを始めました。

現在は 「夢見る月」

で書いています。



ここを辞めた理由。

ひとつには、既に楽天の a man with a past と、この数カ月で、書くほどのものは書きつくしてしまったという思い。(それは充実感でも達成感でもありません)
そして、自分の納得のいく文章が書けないという苛立ち、無能さへの悲しみ、
さらに、書いても書いても同じテーマのヴァリアントでしかないのではないかという行き詰まり感・・・

そのようことから、ここを離れようと考えました。つまり書くことは止められないが、読み手を退屈させるのはもう充分だろうと思いました。

以上のことを踏まえた上で、尚、関心をお持ちくださる方は上記ブログにお運びください。

コメントをありがとうございました。



2018年4月27日

ありがとうございました。

これがこのブログでの多分最後の投稿になると思います。

いまわたしは、いろいろな疑問に突き当たっています。

たとえば・・・

「人間」である条件とはなにか?

「なぜ言葉が必要なのか?」(この中には「なぜ読むのか?」「なぜ書くのか?」という問いも含まれます。)

「わたしを「わたし」たらしめているものは何か?」



先日「他人が存在するにもかかわらずわれわれは生きて行けるか?」という
トーマス・マンの言葉について考えていると書きました。

ひとつには、もし人がわたしと似ていたら、わたしの独自性はその分だけ損なわれるのではないか?という懼れ。

そして同時に、わたしが世界中の誰とも似ておらず、気持ちが通じ合うことができないとしたら、それは絶対的な孤絶であり、絶望ではないのか?という思い。



わたしの書いてきたもの、そしてこれからもどこかで書き続けるであろうことは、全てわたしという異形の者が、その全存在を懸けて発し続けた「必死の問いかけ」です。



日本では明日から大型連休が始まります。そしてこのブログは、この国以外の方の閲覧もあったようです。その方たちには、どうかよい週末をお送りくださいと申し上げます。


短い間でしたが、このような奇妙な文章にお付き合いくださった方々にお礼をいわせてください。

ド ウ モ ア リ ガ ト ウ ゴ ザ イ マ シ タ


Great regards

 Takeo









2018年4月24日

生れたわけ

もう30年以上前に切り抜いた新聞の、読者の投稿を時々眺める。

いわき市 佐々木スミ
    (無職 79歳)
四月十五日付「読んで下さい娘の作った詩」を読みました。私は体まで揺れるような感動を受け涙が流れ、周藤勝彦様の親心が痛いほどわかりました。
実は私、脳性マヒの娘の親です。娘は言語障害の上車椅子に頼っており、重度障害者施設にお世話になって、先生方の教えと励まし、入所者たちの友情で元気に過ごしています。一生懸命に話をしますのに通じないので、どんなに悲しい思いをかみしめていることと思います。先生に励まされ、友だちと一緒にいたわり合い、思うことを詩に託して生きがいを感じているようです。
初めて書いた娘の詩を読み、この子がこのようなことを考えていたのかと、うれしく切なく、胸に抱きしめて泣きました。その時から下手なりに、身の回りのことを詩にして、自分の生きがいにしているようです。周藤さん、どうぞ娘さんを褒め、励ましてください。終わりに、わたしの娘の書いた詩を見てやって下さい。
敬老の日に七十を超えた母が面会に来た。
ふつうの年よりなら孫に肩をたたいてもらう日だろうに、
娘の好きなケーキを買ってきた。
そして三十になる娘の口に食べさせる母はどんなにつらいだろうに。
いつまでも苦労をかけてご免ねとつぶやく
母の目には涙がほほに流れた。


この時ご母堂は79歳、もう亡くなられておられるだろう。
娘さんも60代だろうか。

けれども、ただこの一瞬、ただこの一篇の詩のためだけにでも、
娘さんとお母さんは、ともに、生まれてきた幸福を持てたのではないだろうか。


シモーヌ・ヴェイユが、終焉の地ロンドンで、両親に宛てた手紙、

この地でも、春はじつにみごとです。ロンドンには、白い色、ピンクの色の花が咲く果樹がいっぱいあります。
・・・おふたりがご健康でいらっしゃり、お金のご心配もないようでしたら、どうぞ青い空や、日の出や、夕日や、星や、牧場や、花が咲き、葉がのび、赤ん坊が育つのを、心から存分に味わいたのしみつくしてくださったらいいのに、と何よりもねがっております。
一つでも美しいものがあるところにはどこでにでも、このわたしもいっしょにいるのだとお思いになってください。

「偉大な」と呼ばれる哲学者であれ、重度の脳性マヒをもつ者であれ、母にとって、その貴さと愛おしさは寸分の違いもない。彼女たちがいることこそがうつくしいのだ。

より弱い者にこそ美を見出したヴェイユのような高貴な精神が、現代人の心から夙に揮発し去り、一方で一部の者たち=自称知識人たちによって彼女が神格化されていることに居心地の悪さを感じる。
いま必要なのは、ヴェイユという偶像を仰ぎ奉ることではなく、かつて彼女の眼差しに映し出された弱き者、餓えた者、汚れてしまった者たちに、思いを馳せること、せめて心なりとも彼らの存在に寄り添うことではないのだろうか?それはとりもなおさず、この世界に僅かに残された美と(自分自身をも含む)人間性の残照に対する、人として為しうる最低限の表敬ではないのか・・・

老人、幼子、障害者、病者、弱者、また人生の敗北者、落伍者、故郷喪失者など、あらゆる孤独な魂は、その悲しみゆえに美しくはないか?
こぼれる涙よりも、美しいものはあるか?










2018年4月22日

生きる理由

政治的な信条はさておき、たまには、どこか異国の田舎町で、とくに目覚ましい出来事もなく淡々と生きている人の物語でも読んでみたい。

大学で哲学科に入学した頃から、わたしにとって第一義的な問題は、「どのように生きるか」ではなく「なぜ生きるのか?」であった。わたしはなぜ人間であるのか?なぜ今この時代、この国に「このようなわたし」として生を受けたのか?「どのように生きる?」という問題は」それらの問いに、ひとまず解答が与えられてから始まるものであった。

第一に、自ら望んで生まれてきたものはただの一人もいないということ。
第二に、ひとは生まれてくる国も、時代も、親も、容姿も、さまざまな属性も、能力も何一つ自分では選べないということ。
かように、望みもしないのに押し付けられた生である以上、それを放棄する権利は何人にも備わっている(いなければならない)。
わたしを産んだ親も、またその親も、どこまで遡っても、それは全く変わらない。
誰も望んで生まれてきた者はいない。
だとすれば、ほとんどの人間の存在理由は、生を擲つのが容易ではないという理由がもっとも多いはずだと考えられる。生を放棄する際に伴う苦痛さえなければ、世界中の8割以上の人間はとっくに死を、すなわち生まれてこなかった状態を選んでいるに違いない。

けれども、インターネット上で人々の意見を聞く限りでは、「生活が苦しいから」「仕事がきついから」などの理由から、「死にたい」と考えている人がほとんどのように見える。
逆に言えば、経済的に余裕があれば、或いは働かないでも喰っていけるのなら、死ぬ必要はないと考えているようだ。

「衣・食・住に困らなければ死ぬことはない」そこがわたしとの決定的な相違だ。
わたしは自分が生きている基盤、生きられる足場、存在し続ける理由というものを見つけることができない。そしてそれは決して「クウネルトコロニスムトコロ」の問題ではない。
言い方を換えれば、クウネルトコロニスムトコロ、すなわち「ゼニカネ」の問題さえなければ生きていられるという人と、わたしとは、まったく異質の他者であるということになる。

「なぜ?」を口にしたばかりに生涯憎まれて老いた男だった
ー 長田弘「孤独な散歩者の夢想」より(ジャン=ジャック・ルソーに寄せて)

不悉






2018年4月21日

リベラル嫌い

本書(『抵抗論・国家からの自由へ』)の上梓により、『永遠の不服従のために』にはじまる論考・エッセイ集は『いま抗暴のときに』をはさみ、3冊目となった。タイトルの”つよさ”からか、これらを”抵抗3部作”と呼ぶ向きももあるようだが、著者にはそうした大仰な意識はまったくない。
(略)
「不服従」「抵抗「抗暴」の字面は、いわれてみればたしかに穏やかでない。しかし穏当を著しく欠くのはむしろ世界の情勢のほうなのだというのが、私の言い分である。
「不服従」や「抵抗」といった、いささか古式でそれ自体の正当性をいいはるたぐいの言葉は、よくよく考えると私の好みでもない。アグレッシヴなこれらの言葉と人の内面の間には、しばしば到底埋めがたいほど深い溝があるからである。
それなのに敢えてこれらのタイトルを冠したわけは、決して私の衒いや気負いではなく、おそらく喫緊の状況がそうさせているのだ。と、申し上げておく。
世界は今、「不服従」「抗暴」「抵抗」を”テロ”という名辞で暴力的に一括して完全に消去しようという流れにあるように見える。わたしの考えでは、しかし、「不服従」や「抗暴」や「抵抗」がさほどまでに忌み嫌われているのとまったく同時に、これほど必要とされ、求められている時代もかつてないのである。
—  辺見庸 『抵抗論・国家からの自由へ』(2004年) あとがき

◇◇

既存の法律から刑罰を受けることを覚悟の上で、既存の法律体系を破壊するのが、軽率や野蛮の咎に当たる場合が少なくないのは確かだ。しかし、既存の法律を操る者たちが被支配の立場にいる者たちに対し、専横や抑圧に狂奔するなら、たとえばイラク侵略の如き「国家テロ」をアメリカが仕掛けるなら、それに「不法の武力行為」としてのテロで対抗する者たちが出てくるのは寧ろ自然の成り行きだ。

自由民主主義が自らをグローバリズムにまで仕立てて果てしなく堕落していくのにテロ(恐怖)を与えたいと夢想する、またその堕落を侵略にまで持っていく巨大な資本を有したキャピタリストに対しても、強大な武器を持ったミリタリストに対しても批判を与え、そして自爆を恐れずにテロ(不法の武力行使)で報復しようとしている人々に、場合によって強弱の差がいろいろあるが、ともかく応援する気持ちを隠したくない。その意味で、この老人確かにテロ支援者である。
ー 西部邁 「テロリストの味方と呼ばれるにつれ深まりゆくテロ(恐怖)への理解」-『ファシスタたらんとした者』(2017年)より

最近は愛読している辺見庸がなかなか新刊を出さない(出せない?)ので、代わりに、といっては変だが、西部邁の本をちょくちょく読んでいる。

テロリズムへの共感、日本及び日本人への絶望、自民党及び、リベラル各派への嫌悪、テクノロジーへの反発、等々、意外なほど辺見と通底する部分が多い。
わたしはともかく自殺の讃美者であり、大の受勲者(=権力に頭を下げ、媚びる者)嫌いという点で、これからも辺見庸、竹中労と共に読んでいく人になるだろう。

「この老人、たしかに(考え方の上で)過激でなかったことは、二十二歳になると同時に左翼に属することを辞めて以来、もっと正確には、三十三歳で連合赤軍事件をみてからずっと、一度もなかった」(同上)

という西部と、何かと「リベラル」左翼系から嫌われる「独立独航」の辺見庸。
そして「犬死にこそいいのだべし」と言い放った竹中労・・・
こういう人物たちがわたしは好きだ。





怒らないのか? 怒れないのか? 怒りたくないのか? 怒っているつもりなのか? 日本の限界について

本日四月二十日付朝刊に、哲学者鷲田清一氏の、「「いま」が閉じ込める - 繋がらない怒り」という論考が掲載された。

鷲田氏は、まず、「緩和ケア」について、かつてホスピス医療の先駆者と言われる医師に「何故痛みは緩和されなければならないか」、と問われたことを思いだし、その時に答えた自分の意見から書き起こす。

「激痛は人を「いま」という瞬間に繋ぎ止める。つまり人から過去と未来を奪うからではないか?」と鷲田氏は考える。
人の存在には今現在のみではなく、過去から未来へと流れゆく時間の持続・継続が不可欠である。それに対して、激痛は人の意識を「いま」そして「ここ」に縛り付ける。それは人間の尊厳を冒すゆえに、痛みは取り除かれなければならない。

要約すると鷲田氏はそのように医師に答えたという。

この話を思い出したのは、時間の「庭」が狭まるという同じことが、この時代、それと気づかれることなく人々の意識の中で進行しているように感じていたからだ。
かつての政権ならとっくに崩壊していて不思議ではない、そんな「疑惑」がぼろぼろ出てくるのに、それへの怒りは募っても、「うんざり」とはこぼしても、それが沸騰点に達するまでには至らない。「我慢の限界」というその限界が消失したかの感すらある。
 (略)
記憶を過去から引きずる、希望を未来へとつなぐということがなければ、限界の意識もまた生まれない。時間が、「庭」を失い「点」の連続になる。それは政治的な判断も、市場での決定も、そして「国民」の意識も、きわめて短いスパン、そして狭い場所で動くということだ。「またか」とため息をつくのは、いまだそれぞれの「点」の継起のままで、ひとつの出来事として繋がれていないからだ。
怒りと憎しみ(ヘイト)はその攻撃性に於いて似たところがある。違いはといえば、憎悪(ヘイト)が(比較的境遇の近い)特定の他者との比較に於いて最も激化するのに対し、怒りはこの社会への「義」が損なわれていることへと向かうところにある。怒りに今憎悪のような火が付かないのは、憎悪が自分(たち)の存在が蔑ろにされているところから発するのに、「義」が蔑ろにされているという感覚がまだ限界点にまで達していないから、つまりそのことに自分たちの存亡がかかっていると人々がまだ感じていないからではないのか。
憎悪は人々を分散する。それに抗して、「怒り」をいま、どのように意識し、表現するか、そこにデモクラシーに懸けようとするする「国民」への試練があると思う。

わたしはこの論考を読んで、なんとも腑に落ちない思いがした。

前半の「緩和ケア」について、「痛みは人を、いま・ここに閉じ込める」という点には同感だが、その話を後半につなげるにはどうも流れがスムーズではない気がするのだ。

鷲田氏の論考はあくまでも一般論に留まっていて、「日本人の特殊性」というもの捨象しているように思える。

「「我慢の限界」というその限界が消失したかの感すらある。」
というが、こと日本人に於いては、限界点や沸点などは、あたかも逃げ水のようにどこまでもどこまでも遠ざかって、決して辿りつくことの出来ない幻のようなものではないのか。

激痛は人を「いま」「ここ」のみの限定的な存在にさせる。そして現代人は自ら「現在(いま)」を生きる存在であることを以て自ら任じているのではなかったか?
四六時中携帯用端末と共にあり、常に今を確認し、一時間後、二時間後の「今」を確かめる。そのように「今日」(そして「明日」になればまた、新たな「今日」)という「継起する今の連続体」を生きるわたしたちに、いったい「追憶する過去」や「夢を見る未来」といった「流れを持った時間」などというものが存在し得るのだろうか?
「永遠とは、永遠に続く現在である」といった哲学者は誰だっただろうか。

 最早われわれ現代人の生は「点」の連続でしかありえない。

また鷲田氏は、あたかも日本が民主主義国家であるかのような前提に立って議論を進めている。

「義」が蔑ろにされているという感覚がまだ限界点にまで達していないから、つまりそのことに自分たちの存亡がかかっていると人々がまだ感じていないから・・・

社会の「義」が蔑ろにされているという意識は、そもそも社会には「義」が存在するという前提が必要になる。すなわち、民主主義や、良識、社会のあるべき姿というものが、市民の中に内面化され、暗黙裡に共有されていなければ、もとより「怒り」は発生しない。けれども現実に日本は真の民主主義体制の国家ではない。であれば、社会の「義」が危機に瀕しているという切迫した危機感が生まれるはずはなく、危機感のないところに当然それを破戒する者への「怒り」は生まれない。

先日ツイッターで、誰かが、国会前のデモを「暴徒」であると言っていた、それに対し、デモ派は、「暴徒が大人しく五時で引き上げまっかいな」と返答していた。
ここに端的に、日本人の「逆鱗の欠如」が露呈してはいないだろうか。

彼らは怒れないのか、或いは怒りたくないのか、それとも怒りを知らないのか、それはわからない。けれども国会を取り囲む人たちは「自分たちは決して暴徒ではないのだ」という。
ここに日本の民主主義の、別の意味での「限界」が垣間見える。


「不正のみ行われ、反抗が影を没していたときに。」

" When there was only injustice and no resistance." (英訳)

" Wenn da nur Unrecht war und keine Empörung." (独=原詩)

ー ブレヒト 「のちの時代のひとびとに」

嘗て辺見庸は「反抗」が「暴動」であったらよかったのにと書いた。

そもそも政治が法を蹂躙し、苛斂誅求を極める今この時でさえ、「彼ら」はあくまでも「法に則って粛々と」デモをするという。
「暴徒」呼ばわりは不愉快だと。

流れゆく時間も、存在している空間も無い「ただ今この時の怒り」に己の存亡、その全存在を懸け、この一点を無限に拡大することなしに、怒りの沸点は決して発現しない。
けれどもそれは無理というものだろう。「彼ら」にはデモが終わった後の予定があり、翌日の都合があって、週明けの仕事について準備しなければならず、そのために自分のスケジュールを遺漏なく管理してくれる便利な機械を手放すことはないのだから。

「今」が突き崩された時、明日はないのだということまでは、スマートな機械は教えてはくれない。















2018年4月20日

言葉からはなれて 


ヤン・ティルセン


かつて飯島耕一は「母国語」という詩の中に

「わたしは母国語で日々傷を負う」という一行を残した。

わたしに必要なのは水の流れのように清らかな旋律と、物言わぬ自然・・・

Girl with Lamb, Jean Baptiste Greuze 1767 - 1769)
「少女と子羊」ジャン・バティスト・グルーズ

そしておそらく、ときに、脈打ついのちを抱きしめること、その拍動と呼吸を直に感じることが必要なのだ。
他のいのちを抱きしめることが自己のいのちを抱擁することになるのだから。

春 / Spring, 1933, Leon Wyczólkowski, Polish (1852 - 1936)