2018年3月20日

つづき・・・

けれども、愛されるとは、選ばれることである。愛するとは、他ならぬ一個を、他から峻別し、その他を斥けることである。(ちょうど写真を撮るときに眼前の風景の一部を(確信をもって)切り取るように・・・)
幼子の無垢の魂(プシュケー)に向かい合っているとき、わたしは最早人間である必要はない。
そのときわたしは「ひと」の姿をとどめていなくともよい。一塊の土塊(つちくれ)であってもかまわないのだ。言いかえるなら、土塊であることができるのだ・・・
愛は人を屹立させる。その眼差しによって、愛されたものの存在は彫心鏤骨され、彼は改めて他ならぬ「彼」として、人に愛されることによって、人として「あらしめられる」



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