2018年3月26日

It's Not Unusual

先日「ブログ村」を退会したのも、またコメント欄を閉じたのも、最近わたしの抑鬱状態が一層亢進し、書いている内容に広がりも工夫もなく、毎度同じような「愚痴」と「ペシミスティック」な述懐、「希死念慮」といった「同工異曲」に陥っているためでもあります。

フォローしている人たちの「ナンノタメニイキテイルンダロウ」「シンデシマイタイ」といった短い言葉にわたしは慰められていますが、もとより彼ら、彼女らに掛ける言葉をわたしは持ちません。ひとはひとの苦しみを我がこととして感じることができない以上、全ての言葉は、彼らの心に届く前に、口から発せられた途端に揮発してゆきます。

現在のわたしは「刀折れ矢尽きた」とでもいうべき状態で、もはや為す術がありません。
30歳の時から25年間、様々な精神科及び、精神保健に係る場とコミットしてきましたが、今に至るもわたしの生き辛さはまったく改善されることはありませんでした。

「生きる意欲を失っている」というよりは、寧ろ、この世界には最早自分の息する場所は存在しないという、ほぼ確信に近い諦めが今のわたしの心を占めています。

わたしはもう、落ち葉が「ゴミ」として掃き清められるような公園を歩くことも、
10メートル間隔で、「ごみを捨てないで!」「みんなの森をきれいに!」という地元の小学生に書かせた看板が立ち並ぶ雑木林を歩くこともできません。

まだしばらくは残骸のようになりながらも生き延びているかもしれませんが、
一切の精神医療との関係を断とうと思っています。無論それに代わるなにかに援けを求めるつもりもありません。

數ならぬ 身の憂き事は 世の中の 亡き中にだに 入らぬなりけり 
(『後拾遺集』)










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