2018年3月20日

つづき・・・

けれども、愛されるとは、選ばれることである。愛するとは、他ならぬ一個を、他から峻別し、その他を斥けることである。(ちょうど写真を撮るときに眼前の風景の一部を(確信をもって)切り取るように・・・)
幼子の無垢の魂(プシュケー)に向かい合っているとき、わたしは最早人間である必要はない。
そのときわたしは「ひと」の姿をとどめていなくともよい。一塊の土塊(つちくれ)であってもかまわないのだ。言いかえるなら、土塊であることができるのだ・・・
愛は人を屹立させる。その眼差しによって、愛されたものの存在は彫心鏤骨され、彼は改めて他ならぬ「彼」として、人に愛されることによって、人として「あらしめられる」



2018年3月19日

「少女」について・・・「アリス」未満

2008年にブログというものをはじめて10年。約3千650日。その間に古いブログに投稿した数が671。今年になってこちらに移ってきて、今まで55個の記事を書いている。一方2011年春、即ち7年前の3月に始めたTumblr(タンブラー)、最近は投稿も間遠になりがちだが、過去にポストした絵・写真の数は約2万1000点ほどになる。
この数だけでも、この間どれだけわたしが「アート探し」に没頭していたかが知れる。
直観的に「あ、いいな!」と感じたイメージを選んできたつもりだが、仮に、中でもいちばん好きな写真は何ですか?と訊かれたとしたら、おそらくわたしは、「最も思い出深い」写真という意味で、ユージン・スミスの『楽園への道』"The Walk To The Paradise Garden" (1946年)を選ぶだろう。
ひとりの少年がまだあどけない少女(妹)の手をしっかり握って、森の中の光の中に歩み入ってゆく、ふたりの背後から撮った写真なので、子供たちの表情は見えないが、男の子の確かな足取りに幼い妹は全幅の信頼を寄せている様子が感じられる。



いま読んでいる本の中に、「ぼくはちっちゃいちっちゃい女の子と遊ぶのが好きなんだよ」という言葉が出てくる。
これはルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンについて語られた文章中に出てくる言葉なのだが、この言葉の主については触れられていない。
ところで、アリスは、わたしのなかでは「ちっちゃい女の子」の範疇には入らない。
彼女は『オズの魔法使い』のドロシー同様に、少女ではあるけれども、女の子ではない。
小さくとも、年若くとも、既に人間である。

わたしのいう「ちっちゃい女の子」とは、より正確に定義しようと試みるなら、未成の人間、生まれてから、「人間」という一個の動物になる以前の、束の間、どこにも帰属しないはかなく無垢な魂とでもいうべきか。
自・他の区別も未分化で、好・悪についても定かならず、きれいやきたないという観念にも無頓着。上手い喩えではないかもしれないが、『泥んこハリー』のように、泥の中で転げまわって、黒いブチの白い犬が、灰色のブチのついた黒い犬になってしまったような、そんな無邪気さ・・・

宮崎勤の事件が起きた後に、伊丹十三と岸田秀、そして精神科医福島章が、事件について対談した『倒錯』という本を読んだ。その中に「彼(宮崎)は自己のアイデンティティが不確かで、大人の女性と向き合うことができなかったので、少女を対象として選ぶようになったのではないか?」というようなことが書かれていたように思う。
実はわたしはこの事件について詳しいことをほとんど知らない。
ただ、自分に置き換えてみると、アイデンティティを持つ相手に対するときには、こちら側にもまた、自己のアイデンティティというものが求められる。
しかしたとえば犬や猫、或いは象でも馬でも、はたまた樹々や草花のような存在であっても、相手が「自意識」というものを持たない場合、こちらもまた自己を拘束する自意識を脱ぎ捨て、放擲することができる。アリスやドロシーの場合にはそういうわけにはいかない。

女性を「異性」として意識し始めると、鉛のような頑丈鈍重な感受性の持ち主でさえ、過剰な自意識に絡めとられる。ひとりでいるときでさえ、自分に全く自信が持てず、劣等感の塊の如きわたしにとって、女性のエッセンスは「ちっちゃい子供」か、それでなければ、年老いた女性である。

「ちっちゃい女の子」にしても、老いた女性にしても、共通しているのは、彼女たちにはただ「現在(いま)」だけがあるということではないだろうか?
「明日のことを思い煩うな」という言葉がかつてある人の唇から発せられた。
それを体現しているのが泥んこになって夢中で遊んでいる幼子であり、明日を頼めぬ老女ではないだろうか。
人間社会のシステムに組み込まれる以前と、そこから解放された存在。それが幼女であり老女ではなかろうか。

人間であることに倦み疲れた時、異性の柔肌に身を埋め、己が全存在を預け肉の悦びにひたるというのもひとつの「忘我の境地」ではあるだろう。わたしはそれを否定もせず嫌悪もしない。
けれどもなまじい「自意識」や「エゴ」或いは「エロス」などを持つばかりにそれらにギュウギュウに縛り上げられて悲痛な呻きを漏らすよりも、幼子のように・・・

『あなたに愛の花束を』という邦題だったろうか?" Charlie" (チャーリー)という映画があった。原作は『アルジャーノンに花束を』というその作品のラストシーン・・・
いったんは天才的な知能を獲得しながらも、実験の失敗によって、再び「子供同様の知能を持つ大人」に戻ったチャーリーが、公園の子供たちと一緒に、小さな滑り台で遊んでいる時の満面の笑顔のストップモーションを忘れることができない。

「銀(しろがね)も金(こがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」と、憶良は詠った。幼子の笑顔はなにものにも勝る宝である。そしてまた老女の、晩秋の太陽のようなやわらかな笑顔も。

「うつくしい女性」といい「美女」といっても、それはつまるところ人間界の価値基準を超えるものではない。けれども幼女、或いは老女には、それよりも更に高い次元での崇高、神秘、清澄、透明、慈愛、そして気高さが宿っているように思えてならない。




2018年3月17日

今年初めての外出 ー 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の絡み合い

自転車で十五分ほどの医院に薬を取りに行った。今日が今年はじめての外出になる。
今年初めて立つ空の真下。けれども三カ月ぶりに部屋の外に出ても、すがすがしいとか、のびのびするという感覚はなく、永遠に剥がれることのない瘡蓋のようなものが、わたしの心を硬く塞いでいる。
角の公園の桜の木々は、枝の太いところから伐り落とされていて、見るからにいたましい姿をしていた。公園内は隅々まで落ち葉ひとつないほどに「掃き清められて」いた。年配の男性たちが、小さな鎌(?)のようなもので、大地から萌え出でている野の花の根っこをほじくりかえしていた。
いま、この邦のひとたちは、落ち葉や野の草花を「塵芥(ごみ)」とみなしている。
(もちろん秋の紅葉も、地に落ちるや否や、すみやかにゴミとして集められ処分される・・・)
そして人の手によって植えられた園芸種の花々が咲き誇ることが、美しく清潔な公園だと信じている。
帰り道、緩やかな上り坂で自転車を押して歩いていると、歩道をスマートフォンを眺めながら初老(?)の男性が歩いてきた、わたしは嫌悪と侮蔑の念を隠すことなく、彼の顔をじっとみつめた。彼はわたしの視線に気づいたようだったが、もちろん恥じらう様子も照れた表情も見せることはなく、平然とスマホをいじりながら坂の下へ消えていった。
わたしの心は解放されることはなく、再び扉が閉じられた。


夜半 何ということもなく
目がさめる
すこし息ぐるしい
動悸がしている
そっと胸に手をあてて
確かめてみる
五十年 ぼくのために
働きつづけてくれた心臓よ
ぼくが疲れたように
おまえも疲れたようだ
ひるも夜もやすみなく働きつづけて
ぼくは何だかおまえが可哀想になってきた
ーーいいから
  もうおやすみ
そういってやりたくなった
手をおけば 今夜もことんことんとこたえてくれる
つかれた可哀想なぼくの心臓よ
ー 大木実「夜半の目ざめに」





2018年3月16日

「楕円の思想」への違和感

わたしは「新刊」というものをほとんど読むことがない。(つまり新刊を読むことを避けているのだが)今回偶然図書館の新着案内で見つけた、坪内祐三の『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』という本を、タイトルに惹かれて読んでいる。

「戦後論壇の巨人たち」という第一章では、24人の言論人について語られているが、一人一人に割かれているページはごく少なく、坪内祐三が選んだ彼らの「名言集」と言えなくもないような気がする。とはいえ、彼らはみな個人全集を何巻も持っているような「巨峰」ばかりなので、下手に踏み込んで書こうとすれば、たちまち深山幽谷の中に迷い込むことになるのは目に見えているので、さわりの部分だけをちょっと紹介、といったスタンスがかえって賢明なのかもしれない。

坪内氏の選んだ言葉は不思議に魅力的で、右から左まで、この人の言葉、あの人の文章をもっと読んでみたいという気にさせられる。



花田清輝の項に、彼の「楕円的思考」というものが紹介されている。

坪内氏の引用を孫引きしてみる。

「いうまでもなく楕円は、焦点の位置次第で、無限に円に近づくこともできれば、直線に近づくこともできようが、その形がいかに変化しようとも、依然として、楕円が楕円である限り、それは、醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信じることを意味する。これが曖昧であり、なにか有り得べからざるもののように思われ、しかも醜い印象を君に与えるとすれば、それは君が、いまもなお、円の亡霊に憑かれているためであろう。」

更に坪内氏の引用から

「このフランスの詩人の二つの焦点を持つ作品『遺言詩集』は、白と黒、天使と悪魔、犬と猫ーーその他地上において認められる、さまざまな対立物を、見事、一つの構図の中に纏め上げており、転換期における分裂した魂の哀歓を、かつてないほどの力強さで、なまなましく表現しているように思われる」

「ひとは敬虔であることもできる。ひとは猥雑であることもできる。しかし、敬虔であると同時に、猥雑でもあることのできるのを示したのは、まさしくヴィヨンをもって嚆矢とする。」(初出 1943年)



多分わたしは「円の幽霊」に取り憑かれているのだろう。
どうしてもこの、ふたつの中心をもった生き方というものを受け容れ難い。
それはわたしの潔癖性なのかもしれないし、青臭いと失笑を買いそうな殉情への志向性ゆえかもしれない。けれども、花田氏の言うように、このような二つの顔を持つ生き方を、確かにわたしは「醜い」と感じる。
それは内閣総理大臣に恭しく頭(こうべ)を垂れながら、一方で反戦を唱える人たちの軽薄さ、薄汚さを厭う心に通じている。そして政権打倒のデモをしながら週末には笑顔でお花見に浮かれ興じる人たちの魔訶不思議な二重の心性・・・

「楕円的思考」とは畢竟狡猾な処世術の謂いではないか、とさえ思うのだ。

またそれは自分自身に対する誠実さに欠けた卑怯な折衷主義的態度にも見える。

「世に従えば身苦し 従わざれば狂するに似たり」ー 魯迅 「自嘲」

「二つの中心」ということは、バランスを取るという意味でもあるのだろう、また特定の原理・原則、教理・教条に安易に盲従・埋没しない生き方を指すものでもあるのだろう。
けれども、現在、二十一世紀の日本に生き、価値観の多様化と呼ぶにはあまりに粉々に砕け散った価値の瓦礫の山に、亡者のように立ち尽くすわたしにとって、寧ろ必要なのは「あれも・これも」ではなく「あれか・これか」という「捨て身の」自己創造乃至自己決定ではないだろうか?
何故なら「あれも・これも」という「複数の重心を持つ」という態度から垣間見えるのは、つまるところ権力を利する妥協主義、順応主義の言い換えに他ならないように思えるからだ。

青いわたしと赤いあなたを混ぜ合わせると黒くなる。
黄色い彼と、緑の彼女を一緒にすると黒くなる。
二つの色を合わせると固有の色が失われてしまう・・・

皆が自分固有の色で生きることができ、自分の内部に白と黒、天使と悪魔といった、相反し相克する心性を持つ必要もなく、自己の外側にある社会の価値観それ自体が、複眼的に「あれも・これも」「白も黒も」「天使も悪魔も」包含する、という状況にならなければならないのではないだろうか?

わたしは個人の持つ「楕円的思考」に違和感を覚える。寧ろ社会がその内側に、無数の中心を持つこと。言い換えれば、個々人がそれぞれ社会の中心になることができる無中心社会=全中心社会の方が、より生き易いと考えるのだ。


とはいえ、このような二つの中心=楕円はちょっと魅力的だ

脳ズイが二つ在ったらと思ふ
考えてはならぬことを
考えるため
ー夢野久作『猟奇歌』より


2018年3月14日

しゃぼん玉 ある引きこもりの独り言・・・

前にも書いたかもしれないが、昨年暮れに登録した「ブログ村」では、主に「引きこもり」「社会不安障害」「ダメ人間」などのカテゴリーにあるブログをフォローしている。

「うつ病」のカテゴリーに並んでいた日記を眺めていたら、二つの言葉が目に飛びこんできた。

なんで生きてるのかわからない」

そして

どうして外がこんなに怖いのかわかりません。」

今年、これまでに読んできたブログの中のどんな言葉よりも重く、深く心に響いた。

わたしもまたしばしば考える、というよりも「何のために生きているのだろう」という思いが、ため息のように、フッとマッチを吹き消した後にゆらめき消えてゆく煙のように、自然に脳裡に立ち上ってくる。

ナ ン ノ タ メ ニ イ キ テ イ ル ン ダ ロ ウ ・・・

わたしも、そしてこのようにつぶやく者たちも、みなわかっている。
これは疑問ではない、そして問いかけでもない。ただ、漏れてくる言葉ならぬ言葉でしかないことを。弱音(じゃくおん)を伴った、深く暗く、かそけき吐息でしかないことを。
草の上に置かれた夜露の如きものでしかないことを。





ド ウ シ テ ソ ト ガ コ ン ナ ニ コ ワ イ ノ カ ・・・

わたしも外が怖い。
玄関から出た瞬間、そこがまったく見知らぬ場所であるかもしれないという恐怖。
よく知っているはずの道が、角の公園が、見慣れた家が、ビルが、跡形もなく消え去り、外に出てものの五分もすれば道を失ってしまうのではないかという怯え。

昨日見えた景色は最早今日の景色ではなく、今日見た風景が既に明日には見えないという寄る辺のなさ。
この手で触ることの出来るもの、ずっと昔からそこにあり、昨年もそこにあり、今日も、そしておそらくは来週も、来年も、確かにそこにあるという確信の持てる実質が何もないという絶望・惑乱・・・

確かに「ここ」と感じることの出来るのは最早方丈に等しい自分の部屋だけ。
一歩外に出ればたちまち「ここ」ははるか後方に遠ざかり、「そこ」ですらなく、目の前には「どこ?」が茫洋として広がる世界のただ中に、途方に暮れてわたしは佇む。

「わたし」と「世界」との間には、髪の毛一筋ほどの繋がりもないという足場の喪失感・・・エトセトラ・・・エトセトラ・・・












事象を突き抜け主観へ至る・・・

かつてアナイス・ニンは言った

" We don't see the world as it is, We see the world as we are "

「わたしたちは世界をありのままに見ない。わたしたちは世界をわたしたちのあるがままに見る」

これはニーチェの

「”事実”というものはない、ただ”解釈”のみがある」

という言葉と向き合っている。

わたしたちは「歴史」を、または眼前の現象、出来事を「そのあるがまま」に見ることはできない。

竹中労の『黒旗水滸伝・大正地獄篇』を読んで強く感じたのは、書くことのダイナミズムだった。

竹中労自身の言葉を引く

「なべて表現は作為の所産であって、「虚実の皮膜」に成立する。事実もしくは真実は、構成されるべき与件でしかありません。そもそも、無限に連鎖する森羅万象を有限のフレームに切り取る営為は、すぐれて虚構でなければならない。活字にせよ映像にせよ、ルポルタージュとは主観であります。「実践」といいかえてもよい、ありのままなどという没主体であってはならないのです・・・物自体は不可知であっても、センシビリティによってその意味に迫り得る。言葉を換えるなら「直観」こそルポルタージュの最大の武器でなくてはならず、作為をおそれてはならぬのであります。憶測であれ推理であれ、”仮説”を立てて対象に挑むこと、予断から出発すること。時には感性に任せて、みずからの言葉の嵐のただ中に漂泊してしまうこと・・・」

『ルポライター事始め』(1980年)



『黒旗水滸伝』を読んでいると、正に歴史とは解釈に過ぎないということを改めて感じさせられる。

有島武郎の自殺(心中)、或いは大杉栄のパリから帰国後の様子についても、それぞれの「身近な人たち」から全く異なった証言が為されている。
有島武郎の弟、生馬の言うように「まったく事実無根のことを新聞が書いている」というような場合は別として、有島、或いは大杉にごく近しいAさんとBさんの「その後の証言」が何故こうも異なるのか?
これは、「どちらが正しい」かではなく、あくまでもAさんとBさんの「視点」乃至「主観」の相違から来る異同でしかない。

インターネット利用者が事毎に典拠として「ウィキペディア」を持ち出して、あたかもそこには「事実」と「真実」しか書かれていないかのように「信頼して」いるのを見るにつけ、なぜこうも「ひとつの事実」というものに固執するのだろうという思いを抱いてしまう。

そういう意味では、竹中労自身の著作もまたひとつの視点でしかあり得ない。繰り返しになるけれども、なにを信じるかは、つまるところ個人個人の「趣味・嗜好の問題」に帰着するだろう。

『メメント』という映画があった。妻を殺されたショックで記憶障害になり、10分間しか記憶することができない男が、復讐の過程で出会った人、場所、事件をからだに彫り込んで忘れないようにする。彼は「記憶は裏切るが記録は裏切らない」と信じている。
ところがそのメモに書き添えられる小さな主観「彼は信頼できない・・・」というような些細な主観的脚色が彼を決して真っ直ぐには進ませない。

「記録もまた嘘をつく」のではない。そもそも事実それ自体というものをわたしたちは決して見、また知ることはできない。

歴史的事実、そして物事はすべからく主観的たるを免れない。
なにを是とし、なにを非とするか、何を信じなにを疑うか?それはひとえに個々の主観に因っている。


「客観的になにが真理であるかを見定めることは相変わらずきわめて難しいが、[・・・]
こちらの言うことが「あまりに主観的」であるという反論に出会うことだ。その反対に周囲が共鳴し、分別のある人々が異口同音に憤怒の声を放つようなら、当方としては束の間にせよ自分に満足してよい理由があるのである。

主観的なものと客観的なものという概念は、いつのまにか完全にさかしまになってしまった。客観と称されているのは、現象の議論を孕まぬ側面であり、よく吟味せずに受け入れられた現象の写しであり、分類済みのデータを組み合わせて作った「事物の見せかけ」(ファッサーデ)であり、つまりは主観的要素である。それに対して主観的と呼ばれているのは、そうしたファッサーデを打ち破り、問題になっている事柄に特有の経験に踏み込んで行き、その事柄に関する判断上の合意を放棄し、対象そのものに対する関係を、対象を熟視したことすらない(まして考察したことなどない)連中の多数決に取って代える行き方ーーつまりは客観的態度なのである。
  (略)
この種の客観性に当面した理性としてはーー窓のない暗室に引きこもるようにーー個人的好悪に逃げ込む以外にない、すると権力者の恣意がその恣意性を咎め立てるのだが、権力者としては、今日個人主観によってのみよく保たれている客観性が怖ろしいのであり、したがって個人主観が無力であることを望んでいるのである」

ー テオドール・アドルノ『ミニマ・モラリア』1944年著(P91~92)

客観性なるものに埋没することなく、事柄と切り結ぶこと。自らの好悪を対象とすり合わせること。
客観的事実という遁辞に惑わされずに、主観的であること・・・

竹中労はこの『黒旗水滸伝・大正地獄篇』上・下巻千余ページを執筆するにあたり、彼自身「古本屋巡りだけで原稿料がそっくり消えちゃう」と言うほどの「資料」を跋渉している。
けれども出来上がったものは優れて竹中の「主観的」大杉栄であり、甘粕正彦であり、大正期に輝き消えた「百八つ」の星々の像(すがた)であった。

もう一度、アドルノの言葉を、

「その客観性なるものは、この世界を牛耳っている連中の主観の計算から出たものでしかない」


再度、しつこく、今度は『黒旗水滸伝』本編最後に掲げられた竹中労の言葉を引用する

「・・・連載中「事実と違うのではないか?」というご指摘をなんども頂戴した。それはおおむね「文献」に依拠したクレームで、あの書物にはこうある、この記録ではこうなっているというものだった。「ルポライターが嘘を書いてもよいのか」と、執拗に何度も手紙をよこした人もある。
事実、もしくは真実は、ルポルタージュの与件に過ぎないということを、いくら説明しても、ある種の人びとは決して理解しないのでアル。だが、たとえばこんな風に<物自体>は不可知であって、表現者はただセンシビリティ=感性によって、対象に迫り得るのである。という言いまわしで、それらの人々を沈黙させることはできる。」


そしてわたしが「信じると決めた」歴史的事実も、社会的な出来事も、またひとつの主観的現象であり、わたしにとっての真・善・美即ちわたしの個人的嗜好に他ならない・・・




2018年3月12日

秘すべきは「悲」

美しい詩に出会った。

大木実の「金色の時」、そして神谷美恵子の「残る日々」
ひとつは、幼子が乳母車の中で初めて目にするこの世界の美しさを詠った詩、そしてもうひとつは神谷美恵子の最後の病室に残された一篇の詩。

人間の生の始まりと終わりに見たうつくしい世界のことづて。

わたしはそれをここに書き写そうとして、手を止めた。

余りにもうつくしく切ないこの二つの詩を、人間の生と死を、妄りに取り扱うべきではない、と。

「このような場所」に書き写すことは、彼の、彼女の魂を穢すことになると感じた。
加えて、彼らの詩を、携帯用端末で読む人間を想像することは、わたしにそれを書き写すことをきっぱりと放棄させるに十分な理由になり得た。

わたしは最後の最後のところで、インターネットというものを信頼しきれていない。
そしてもっと根源的な生理のレベルで、”デジタル”の世界を好きになれない。

かつてわたしは、少なからぬ人たちがインターネットを通じて、身近な人の喪を伝えているのを見た。親友を、伴侶を、肉親を失いましたと。
それを見るたび、わたしには決して同じことはできないと感じた。
彼らにとって、インターネットとは、既に自らの日々の生活と同じ地平に存在するものなのかもしれない、けれどもわたしにとってそれは大事な人の生・死を語る場には到底なりえない。




変ホ長調の、ピアノ協奏曲の、終楽章の半ば過ぎ、
むせび泣くような旋律が、あらわれて、しばらく続く、
ーー 泣け、というように。
何を歎く?
恋を? 孤独を?
癒されぬこころの痛みを?
移ろう時の悲哀を?
聴くたび、聴こえてくる、あれは、何の歎き?
誰の嗚咽? モーツァルトの?
ノン、モーツァルトがわたしたちに遺しておいてくれたのだ、
ーー 泣きたいときには泣くがよいと。
ー 大木実 「嗚咽」

泣きたいときには泣くがよい、ただひとりで、或いは、すぐ傍にいる親しい人と共に、
けっして大勢(みんな)とではなく

悲しみが深いなら、それを明るみに曳き出してはならない・・・