2018年4月8日

武蔵野を歩く

白洲正子の随筆集『余韻を聞く』(2006年)のなかに、河合隼雄と話をしたときのことが書かれている。
白洲が、患者とどういう風に付き合うのか?と尋ねると

昔は、自分が直してやる、という氣で一生けんめいでしたが、この頃わかったことがある。(先生は今年六十一才です)それは、放っといても、自然の空氣とか、樹とか、風とか、空とか、そういうものが直してくれるのであって、自分の力なんか一つも加わってはいない、ということに氣が付きました。
ただ、自分はそこにいなければいけない、いるということだけで、あとは空氣や風に任せとけばいいのだと。

今日、久しぶりに国分寺周辺を歩いてみた。風が強かったが、その分薄緑色に染まった木々が風に揺れる姿を見ることができた。
もう何年振りだろう?昔柿の木の畑が広がっていたところには建売住宅が建ち並んでいた。
多摩地域でも知られた旧跡であり、散策のコースでもあるので、緑はまだ多く、色とりどりの花が咲いていたけれど、わたしの心は晴れなかった。

この世になくて
くちおしいだろうもの、
武蔵野
キーツ 萬葉
わが子 わが妻
少年の日のおもひで
木 草 山

菊の花 桃の花
朝顔の花
そして しずかな空
ー 八木重吉 「しづかなるひは」

風の中、武蔵野を歩きながら、わたしの屈託は消えることはない

いったいなにが「いない」のだろう?


 


2018年4月6日

最期の残照を見た

新聞の外信欄の小さな記事。

北京の中心部にある名高い音楽ホールで、ニューヨーク・フィルハーモニー・オーケストラの演奏会が催された。記者が席に着くと、場内のあちらこちらを赤いレーザー光線が飛び交っている。なんだろうと思っていると、どうやら、場内で、カメラやスマートフォンで演奏会の模様を撮影する人に撮影禁止を伝えるためらしい。

「二時間余りの上演中、ホール内の至る所で、写真撮影を試みる人と、レーザー照射の「いたちごっこ」が繰り広げられていた。すぐに撮影機をひっこめる観客もいれば、照射が続いても全く気に掛けない強者もいた。
赤い光の乱舞に、すっかり興ざめした名曲鑑賞の夕べとなってしまった」
(四月五日付け夕刊より)



こんな演奏会ってあるだろうか?仮にわたしが観客のひとりとしてその場にいたら、たとえどんなに高いチケット代を払って手に入れた席であっても、ただちに会場を後にするだろう。連れがあったらその人もきっとわたしと同時に席を立って出てゆくだろう。(そんな場所にそれでも残りたいというような人とは、そもそも友達にはなっていないはずだから)

この記事を読んで驚くのは、演奏会の模様を撮影しようとする者が一人や二人ではないということ。そして予め、撮影をしようとする者に対して、レーザー照射で禁止を伝える専門の係員がいるということ。それはとりもなおさず、そのようなことが決して珍しいことではなく、最早傍へ近づいて行って小声で注意するなどという方法ではとても追いつかないほど「撮影者」が溢れているということだ。

コンサートや演奏会でのこのような光景がいまや日常茶飯事であるのなら、それでも尚、
演奏会に足を運ぶ人がいるのだろうか?
オーケストラの指揮者、或いは演奏者たちは、そのような環境の中でも演奏を続けるのだろうか?
これはひとり中国だけの現象なのだろうか?

人というものはそもそもがこのように愚かしい存在だったのだろうか?
それとも、ある時を境に急速に劣化してしまったのだろうか?

嘗て各家庭にテレビが普及し始めた時、評論家大宅壮一は「一億総白痴化」と言った。
しかしテレビはまだ家の中に固定鎮座しており、ひとはわざわざその前ににじり寄り、坐るなり寝そべるなりして視ていた。ところが今や、白痴化の元凶は自由に外の世界を跋扈している。
白痴化の自乗・・・

「必要は発明の母」とかつては言われた。
またある人は「発明は必要の母」と言った。そして今に至って、「発明は(  )の母」となった。
(  )の部分には「愚昧化」「滅亡」「醜さ」「堕落」等、適宜言葉を入れて頂ければいい。

かつてインターネットなどというものが、携帯用端末などというものが存在しない時代があって、わたしはそんな時代を生きてきた。それは人間が人間であった最後(最期)の時代であり、わたしはなんとかそこに間に合ったのだった。

人類が滅びること、人が人でなくなること、嘗てヒトと呼ばれていた生き物が絶滅するために、もはや「核」は不要だ。

科学技術は、「文明」は、「文化」を、「芸術」を、「美」を駆逐した・・・

パゾリーニに倣ってわたしは言う、

「人間よ、呪われてあれ・・・」


2018年4月5日

誰がために鐘は鳴る

「すべての物語は、その人たちだけの物語ではない、と思います。 」
そう彼女はわたし宛の葉書に書いた。そして、ジョン・ダンの言葉を添えた。
No man is an island,
entire of itself;
every man is a piece of the continent,
a part of the main.


ー John Donne’s "Meditation 17"
「わたしたちは決して「孤島」 ではない。
それのみで「全体」ではない。
われわれはみな大きな大陸の一部である。
全体(本体)の一部である。」
それでも、とわたしは思う。わたしたちは各々に個別の物語を生きるのだと。
それは決してケーキやパイのように、仲間と切り分けることの出来ない固有の痛みであり、固有の悲しみ、煩悶であると。
人と代わることの出来ない、交換不能な痛みや悲しみや苦しみが含まれる生を持つからこそ、それぞれに固有の「死」が生れるのだと。

わたしは想像の中で彼女の言葉を紡ぐ。

・・・でもダンはこう続けているわ
Any man’s death diminishes me,
because I am involved in mankind;
and therefore never send to know for whom the bell tolls;
it tolls for thee.
「誰の死であっても、それはわたしの一部の消滅である。
何故ならわたし自身が「人類」の一部なのだから。
それゆえあなたは「誰のための鐘がなっているのか?」と尋ねる必要はない。
弔いの鐘はあなたのための鐘の音でもあるのだから」 

わたしは続けて反問する。
わたしの弔いに鐘の音は不要であるにしても、仮にそれが鳴らされるのなら、それは誰のための鐘でもなく、わたし固有の鐘でありたい。

わたしの生涯の苦悩と悲しみを「人類(全体)」と分かち合うこと、それをその中に溶かし込むことををわたしは望まない。

誰もわたしの悲しみを悲しむことはできなかった。それは屹立した悲しみであった。
何者もわたしの痛みを感じることはできなかった。それは孤独な痛みであった。

わたしはかつて"Piece" や "Part" であることはなかった。
そして全体の一部であったことはなかったのだから。

その鐘は、あなたのための鐘ではない。

(人間の尊厳は、なにか自分より大きなもの、自分とは別のものに還元されることのない、「その人の存在」という厳粛な一回性の裡にこそあるのだと思う。
あなたの悲しみを「人間全体の悲嘆」の中に埋没させてはいけない)

わたしはそのように返事を認めた・・・



   









2018年4月4日

無題

「晴耕雨読」、それがもっとも人間らしい生き方のような気がする。
晴れた日には畑を耕し、雨の日には部屋で読書をする。
テレビも、勿論パソコンもなくていい。
ただ音楽が聴けて、映画が観られる環境は欲しい。
それでも大きなステレオや大画面のスクリーン(TV)などでなくていい。

「紅 旗 征 戎 吾 ガ 事 二 非 ズ」そんな気持ちで毎日を、残りの日々を、心静かに生きてゆきたい。

自分の口に入るものを自分の手で作り、数編の詩を読んで一日の疲れを癒す。
日記をつけてもそれは人に見せるためのものではなく、本を読んでもそれは知識を蓄えるためではない。



嘗ては文字の読めない人が多くいた。
けれども文字が読めずとも、空を飛ぶ小鳥の囀りを聴くことも、小川の流れに手を浸すことも、馬の背をやさしく撫でてやることもできた。
それはなににも勝る詩ではないか?

聴くことができ
視ることができ
香りを感じることができ
味わうことができ
触れること(触れられること)ができれば、
そこには詩が生れる。

わたしは時々思う、究極の詩とは、言葉を失ったところにあるのではないかと。
言葉がわれわれに教え得る最上のものは畢竟言葉の無力さではないかと。


そんな風に思いながらもわたしは今日も本を読む。


 淋 し く な れ ば 木 の 葉 が 踊 って 見 せ る (放哉)



あとは 沈黙 ・・・





2018年4月3日

「公共空間」について、鉛筆の芯と、さくらの花びらの危険性について

前にある人のブログで読んだことが強く印象に残っている。
その人は或る美術館で作品についてのメモを取っていた。すると、係員がやってきて、
鉛筆を使うのは遠慮してほしいという。理由を訊くと、「芯がとんで、作品を傷めると困るから」ということらしい。

以前、友達と三鷹駅前の美術館に行ったときのこと。のどの調子が悪いからと、友達がバッグからのど飴を取り出して口に入れた。すぐさま女性の係員がとんできて、「のど飴は困ります」わたしが「何故ですか?」と訊くと「咳などをして飴が飛び出して作品を傷める可能性が・・・」

鉛筆の芯が折れて作品を傷つけたり、咳やくしゃみをしてのど飴が口から飛び出して、作品を損なう確率とは、どの程度のものだろうか?
けれどもわたしはこれらの二つの例があくまで特殊で例外的なものだとは思えない。

今更言うまでもなく、わたしたちは生身の人間である、くしゃみやせきに限らず、立ちくらみを起こして、思わず壁に寄りかかってしまうかもしれない。うっかり人にぶつかり、その人が押されたはずみで展示品にぶつかってしまうかもしれない・・・「作品を毀損しうるあらゆる可能性」を考慮し、排除していたら、当然展示会など開くことはできはしない。
わたしは極端なことを言っているのだろうか?「鉛筆の芯が飛んで作品を傷つける可能性」というのは極端ではないのだろうか?



家の近くにある比較的緑の多い公園内の路が、いつも塵ひとつないほど掃き清められているということを以前書いた。
今日もその公園に行ってみた。散ったさくらの花びらをどうしているのか知りたいと思ったからだ。案の定、花壇のように囲われている場所以外の、人の歩く部分にこぼれたさくらの花びらを年配の男性たちがせっせと掃き集めてはゴミ袋に押し込んでいる。
仕事をしている男性に声をかけてみた。
「みなさんは、落ち葉やさくらの花びらをゴミだと思ってらっしゃるのですか?」
「ええ、ゴミですねえ・・・いや、子供さんたちやお年寄りがね、それを踏んで転んだりすると危ないでしょう。だから掃くのはみちのところだけでね。こういう花壇のようなところはそのままですよ」

わたしは「公共空間」について考える。
道路であれ、駅であれ、デパートであれ、図書館であれ、「私的空間」以外はすべてがパブリック・プレイス=共空間である。

たとえば公園という場所は一般的には休息のための空間とされている。
けれども、いうまでもなく、公園は自然の野山ではなく、自治体が作ったものであり、したがって自治体によって「管理される」。
ホッと息抜きをし、リラックスするための空間であると同時に、管理下に置かれた空間でもある。
そのため管理者である自治体が、花びらや落ち葉を踏んで転んでけがをする人が出たら困ると判断すれば、舞い散ったさくらの花は危険物として速やかに「処分」される。

バスの車内で執拗に流される「危険ですので走行中の座席の移動はお止めください」
或いは電車内で「危険防止のため急停車することがありますのでお気を付けください」
エスカレーターで、駅構内で。
公共空間とは恐怖の空間である。



たとえば美術館などでは、どこまでが危険な領域で、どこからが安全であるというその一線は、どのような判断に基づいて為されているのだろうか?
言い換えれば、人はどこまで人を信じ、どこまで人を疑うのか、それが「安全」と「危険」の一線を画する基準になるだろう。いやいや、信じる信じないの問題ではないだろう。鉛筆の芯が折れて飛ぶのも、のど飴が咳と一緒に飛び出すのも、どちらも不可抗力だ。そして人間は「ハプニング」を予知することはできない。


人ありて電車の中に唾を吐く
それにも
心いたましむとき (啄木)

電車の中はわたしの空間だろうか?あるいはみんなの空間だろうか?
たとえば電車の中で赤ん坊が泣き出したら、皆は迷惑だろうか?「ここはみんなの空間だから」うるさくする方が悪者だろうか?それとも、うるさがる方が悪いのだろうか?
或いは気分が悪くなって吐いてしまったら?それは明らかな迷惑行為だろうか?体調が悪いのに電車=公共の乗り物(そんなことを言えばタクシーだって公共の乗り物なのだが)に乗る方が思慮が足らないのだろうか・・・なにが適正で何が妥当なのだろう?そしてその基準はどこにあるのだろう?

公共空間即ち恐怖の空間であるとすれば、至る所に「監視カメラ」を設置すれば人は安心することができるのだろうか?ではその「安心感」は何に因るのか?

古来様々な思想家、哲学者が公共空間と私的空間、「公」と「私」について言及している。
けれどもそれは当然ながら一様ではない、ヨーロッパの哲学者と東洋の哲学者では主張が異なり、時代により、また文化の違いによっても公共空間をどう捉えるかは異なってくる。

公共空間に於いて安全が最優先されるのは言を俟たない。けれども、秋の落ち葉や、歩く人の足元をほんのりと染めるさくら色、或いは鉛筆の芯やのど飴が危険視され、至る所に監視カメラが道行く人を見つめている世界を思う時、「安全」こそ至上のものだとは思えなくなるのだ。

公共空間については更に考えていきたい。何故なら公共空間=世界に他ならないのだから・・・








2018年4月1日

夢ののりもの

いまどき日本のどんな辺鄙な村へいっても、乗りたいところで乗り、降りたいところで降りられるというバスに、お目にかかれるだろうか?
(略)
ぼくは東南アジアを旅したとき、とくにフィリピンではバスを利用して、ルソン島農村地帯を歩きまわった。(略)そのバスは百キロ、二百キロの行程を丸一日かかって走る長距離バスである。辺鄙な山岳部では一日一本のバスが朝三時に出発し、夜八時頃に終着の町に着く。
このバスはトラックの堅牢な車体に木のベンチをいくつも並べた素朴なもので、どこでも自由に乗れるし、降りたければ天井か車体のサイドを力まかせに叩くと止まってくれる。
子豚や鶏を抱えて乗り込んでくる村人は、自分の家の前でバスを止めて降りてゆく。しかも、昼食時と午前・午後のコーヒーブレークがあって、運転手と車掌と乗客が一緒に食事したりお茶を飲みながらおしゃべりをたのしみ、「さて、そろそろ出かけるか」という調子で発車しながら、驚くべきことに終着時刻は予定通り正確なのである。つまり、乗降自由、のんびり走る条件で時刻表が作成されているのだ。

これは佐江衆一が1973年に書いた、「貧しい」と見る目」というエッセイだが、(『裸足の精神』より)なんという夢のような、長閑な世界であることだろう。

高床式のニッパハウスに住み、のんびりと昼寝を楽しみ、近くの川で洗濯をしたり水牛と沐浴している東南アジアの人々を見るとき、「先進国」の日本人は、物質的豊かさのみを基準として、「なんと貧しい遅れた人々か」と思ってしまう。南の人々を「貧しい」と見る間違いには気づかない。
時間を征服しようという傲慢さや、大自然の恵み以上のものを入手しようとする果てしない欲望が近代化を進めてきたが、ぼくの東南アジア体験は、その「近代」への深い懐疑とアジア的価値感の誕生であった。
近代は長い年月かけて人間の築いてきた確実なものと、その周囲に築かれた生活を破戒しはじめている。その過ちに気づかぬ限り、日本人が恐ろしい人種としてアジアから異端視されるのは当然であろう。
田舎のバスでよく、貧しく見える暮らしでいいではないか。その心豊かにゆったりと生きる南の人々まで「進歩の論理」が侵略する権利はないし、北の人間こそ人類の滅亡へ全力で走りつづけている哀れな動物に違いない。

現在の日本人が、自分たちの暮らしが、ほんとうに「豊か」で「進歩した生活」であると感じているとは思えない。しかし人間という生き物は、決して立ち止まったり、引き返したりすることの能わざる生き物なのだろう。人間はただ「前に進むことしかできない」

いやいや、大仰な文明批判などは措いて、 わたしはここに描かれている、「どこでも乗れてどこでも降りられる」という乗り物、その中で人々がお茶を飲み、笑顔と会話を交わすという光景がなんと優雅な、そして貴族的ともいえる世界に見えて仕方がないのだ。












トトロをしばらく見ない

佐江衆一のエッセイ集『裸足の思想』(1979年)に興味深い一文が引用されている。

「・・・平和なる山の麓の村などに於いて、山神楽或は天狗倒しと称する共同の幻想を聴いたのは昔のことであったが、後には一様に、深夜狸が汽車の音に真似て、鉄道の上を走るというふ話があった。それは必ず開通の後間も無くの事であった。
また新たに小学校が設置せられると、やはり夜分に何物かが、その子供等のどよめきの音を真似ると謂った。電信が新たに通じた通じた村の狢(むじな)は、人家の門に来てデンポーと喚はった。」
柳田国男は『明治大正史世相篇』において「時代の音」をこのように誌した。 

たぬきの汽車、むじなの電報配達、そして深夜の学校での子供たちの声・・・

柳田民俗学を引いて、日本の近・現代批判をする佐江衆一の文章全体よりも、わたしは単純にこの描写に魅了された。
更にわたしがおもしろいと思ったのは、それが廃線になった鉄道や使われなくなり廃校となった学校の教室や、人気の少ない古びた町ではなく、新たに敷設された鉄道であり、新築の校舎、はじめて開通した電信であるという点だ。

生き物たちはここでは寧ろ「死んでしまった場所に姿を現す」「お化け」というよりも、人間の新技術を笑っているようではないか。いや。たぬきやむじなたちは「鉄道」や「学校」「電信」をもまた「人間の遊び」と考え、人間と一緒に遊んでいたのではなかっただろうか?

技術の進歩は「彼ら」を置き去りにしてきたのだろうか?
船が陸地から遠ざかるとき、果たして「取り残された」のはどちらの側に立つものだろう?

「妖怪変化」という。けれども、子供たちは、汽車の真似をして線路を走るたぬきや、デンポー!と門口で呼ばわるむじなと遊びたいのではないだろうか?
技術の進歩は、たぬきやむじなだけではなく、「人間という規格」に嵌った硬直した存在となる以前の、寧ろ動物により近い子供 =「変化」(へんげ)たちも一緒に陸地に、或いは大地から遠ざかる船の上に置き忘れてきてしまったのではないか?



松山巌は『住み家殺人事件 ー 建築論ノート ー』(2004年)のなかで次のように記す

かつて子供たちは自然の中で「あばれまわり、ひざ小僧をすりむいて血が出たり、虫にくいつかれたり、さされたり、ウルシにかぶれたり」しながら生きていたことを本当に忘れてしまったか、知らないかもしれない。
「自然がどのようなものとして、子供の前にあらわれるにしても、まず、からだで、感覚でそれを受け止める経験を、かれらにはもたさねばならぬ。人間の歴史の知識とことばとで、それを教える前に、五感や行動でそれをつかむ時代を経させなければならぬ。
そうでなくては第二の自然としての人間の幼い世代は健康に育たない。そういう時代を経させるために、子供たちには「ひまな時間」が存在するのである。いや、存在しなければならぬ。」
ー 国分一太郎『しなやかさというたからもの』
この国分の意見に納得する人は多いだろう。しかし現在の子供たちは、「ひまな時間」をもつどころか、自然と向き合うべき「ひまな場所」を家の近くに持っているだろうか。

ちなみに松山のこの『住み家殺人事件』は、「建築」という表象を通して、近・現代の社会の在り方、そして現代人の存在の仕方に対する徹底した批判の書である。

2016年のオリンピックに東京が落選したときに、彼は「これで東京ももう少し生き延びることができる・・・」と書いた。

この本にはこのような記述もある

正岡子規は、「根岸近況数件」と題し、「田圃に建屋の殖えたること」「某別荘に電話新設せられて鶴の声聞えずなりし事」「時鳥(ホトトギス)例によって屡々音をもらし、梟何処に去りしか此頃鳴かずなりし事」
(『病床六尺』1902年7月1日)と記している。
日本の近代は、子規を早世させた結核と、東京の片隅から鶴とふくろうの啼き声を消した。いや殺したことからはじまった。やがて「田圃」も「時鳥」も消され、「建屋」が増大し、と同時に、「電話」という新しい通信方法が人と人との関係を大きく変革したことからはじまったのである。

花がなければ
世界はさびしいか
ならば
それがないために
かく荒涼としている
というものは
なにか
ー 川崎洋 「花」 

この問いに俄かに答えるのは難しい、近・現代の歴史は多く喪失の歴史でもあるのだから。けれども喪失の裏には必ず新たなるものの出現が伴う。
森が失われ、工場が建つ、或いは観光地になる、河川が埋め立てられ幹線道路ができる、山を切り崩し高速の鉄道が走る。空地に高層マンションが建設される・・・

「それがないために かく 荒涼としている」というよりも、わたしは寧ろ
「それがあるために」かくも荒涼とした世界になっているというものが多すぎると感じている。

今日は「エイプリル・フール」
'Fool'の仲間には 'Clown' (道化師)や 'Joker' (冗談をいう人、或いはトランプのジョーカー)と言った言葉たちがある。

子供たちを笑わせて一緒になって遊んでくれるたぬきやむじなは「高貴なフール」で、「スマート」を自認する玩具で悦んでいる人間たちよりも、遥かに純粋で美しい目をした生き物たちなのだろう。