2018年3月9日

三度「勲章」について

……若いときには「反戦」を唱えていた文化人が老いてから紫綬褒章かなにかを受勲して、平気で皇居にもらいにいく。旧社会党の議員でも反権力と見做されていた映画監督でも平気でいく。晴れがましい顔をしていく。ここには恥も含羞も節操も何もあったものではない。そして聖域との共犯関係をつくっていく。自らも聖域の住人になった気になる。こうして公共空間は狭まる。共産党をいいなと思ったことはあまりないけれども、ちょっといいな、というよりは当然だと思うのは、受勲、それだけはお断りしますという態度です。他にも受勲を秘やかに拒んでいる人物たちがいる。私はそれが最低限の節操、廉恥だと思います。
ー 辺見庸『今ここに在ることの恥』(2006年)

人は思うかもしれない、なぜそんなに勲章を嫌うのか、と。では訊こう、何故人々はこうも受勲というものに寛容なのか、と。

人民・民衆に愛され、国家(お上)に憎まれる存在というものはいないのだろうか?
それは例えば鼠小僧とか弁天小僧、稲葉小僧といった者たちということになるのだろうか。鼠小僧はご存知「義賊」という矛盾した言葉で語られる。貧民にとっては「義」(=正義)の人であり、国家にとっては憎むべき「賊」である。
彼らはどんなに人々に愛されても、決して叙勲の対象にはならないだろう。痛快である。
その他には石川五右エ門とか、三億円強奪犯、阿部定、更には「任侠」の系譜に連なる人たち、などだろうか。

一言でいえば、受勲とは「上に向かっての堕落」に他ならない。
(おしなべて「堕落」とは、上方に向かってのものであるけれども・・・)

「フーテンの寅」も「唐獅子牡丹」も「濹東譚」も、上(うえ・かみ)に向かって転落していった。

自らは民衆・細民のために命を掛け、国家権力はもとより、大衆からも忌避された者たちがいる。いわゆるテロリスト(或いは「刺客」)と呼ばれる人物たちだ。

彼ら・彼女らの思想・志操は、大衆のよく理解するには至純に過ぎる。朝日平吾然り、難波大助然り、古田大次郎然り、そしておそらくは三島由紀夫然り。

人民・大衆が愛する者を「お上」が愛するのは単にそれを利用したいがために他ならない。しかし翻って、お上に愛されたものを人民・大衆が同じように愛するということは市民としての堕落でしかない。国家の愛するものを民衆が愛してはいけない。
「国家」と「民衆」は反目する。故に断じて同じものを愛してはいけないのだ。

国家に愛され、「目出度く」受勲した者たちは、そのことによって、己の過去の功績を穢したこと、俗に言う「九仞の功を一簣に欠く」乃至は「百日の説法屁一つ」ということを知らないのだろうか?

不一





2018年3月7日

インターミッション

春ということで・・・もないのですが、ブログのメインの写真を替えました。
この写真はTumblrの友達のフォトグラファーの撮った風景写真です。
彼はドイツ人ですが、現在はギリシャに住んでいます。
友達でありながら、彼がプロの写真家なのか、アマチュアなのか知りません。或いは聞いたけど忘れてしまったのか?

前に一度、彼から数葉の写真を送ってもらったことがあります。彼らしい雄壮な写真でした。
わたしはカラー写真の良しあしがわかりません。デジタルの写真になってから、写真はいかようにも加工することが可能になり、どこまで加工した色彩なのか?加工することと創作と、どのように違うのかが判然としないからです。カラー写真に関しては、わたしは可能な限り網膜に写されたものに近いことを良しとします。自然のまま、ありのままを最優先します。

いずれにしても、今回、ブログの写真を差し替えるにあたって、先ず思い浮かべたのは彼の作品でした。「加工」についてはわからないながらも、彼の写真に写しだされている雄大な自然を、コンクリート率97.8%の大都会の一室に閉じこもっているわたしの心は無意識の裡に求めているのでした。

彼のみならず、これまでわたしは、海外の友達から自分の描いた絵や、ポストカードを何枚も送ってもらいました。けれどもいまだにお返しをすることができません。
年々外に出ることが困難になっているからです。

ポスト・カードくらいなら、駅ビルでも、隣の国立の文房具店にも売っています。
・・・わたしは以前、カードやカレンダーは、いつも銀座の伊東屋か、或いは丸善で求めていました。いまでもわたしはそこで彼らへのカードを買える日を待っているようです・・・
神田のクリニックのカウンセリングに行くことすら覚束なくなった今のわたしにとって、東京、銀座などは夢のまた夢とは思いながらも、いつか彼らに、手づから選んだカードを送ることが出来たらと考えています。

ここしばらくやり取りがありませんが、彼、「ステファン」のブログです

A Funky Space Reincarnation




2018年3月6日

辻潤、そして真のアナーキズム

国家とは、どのような政体を持とうとも、ひとつの専制である。すなわち、支配者の意思が被支配者の意思と同義と見做される。その矛盾に国家は立脚する。

「支配者の意思」とは、つまり「法律」である。国家は個人の意思を規定する。
国家にとっては誰一人「自らの法」を持ってはならず、そうした意思を抱くものはただちに排除(拘禁・追放・死刑等々)される。もし万人が自己の意思を持てば、国家は当然廃絶される。服従が止む時、支配もまた終わるのであるーー

この意思は国家の破壊を願う。
国家とは人々にとって、税金であり、監獄であり戦争であることの他に何であり得るのか?国家は専制体である。支配者がひとりであろうと、多数だろうと変わりはない。「民主制」について言えば、「万人が主人である」ことは各人が他者を制圧する、という意味に他ならない。

ーー例えば、私がいかなる義務も認めず、自己の意思を拘束せずまた拘束せしめぬことを望めば、却ってそのために『法律』によって拘束を受けるに違いない。だが何人も私の意思は拘束し得ず、反抗の意思は自由でありつづける。

諸国家は様々な方法で、「最高権力(暴力)」を分配する。つまりある個人がそれを所有すれば君主制と呼ばれ、万人が有すれば民主制であるといったふうに。ともかくも、最高の権力を、だ。それは誰に対しての権力か?個別人間の自己意思への、だ。

国家は権力を行使するが、個々人には許されない。国家の権力(=暴力)は、「法律」(=正義)と称されるが、個々人の権力は「犯罪」と名づけられるのである。
故に、「国家が個人の上にある」のではなく、「個人が国家の上にある」という見解、乃至感覚を持つ者は、「犯罪」によってのみ、「国家権力」を破ることができるーー

ー 辻潤訳『唯一者とその所有』シュティルナー





辻潤は明瞭に言う、「ボンクラな秀才を養成する赤門式教育」「都会をメリケンの場末の町なみにするのを繁栄と心得ている政治屋・資本家」・・・すなわち「人間を取り締まろうとする連中の馬鹿の多いことを見よ」と。

彼が現代に生きていたら、「税金を納めるために小説を書きとばしている流行作家」「首相に招待されることを無上の栄光と思い込む文化人」等々、馬鹿の数が増えていることに驚倒するだろうが、今も昔もその本質に変わりはないのである。

大正デモクラシーの時代に、辻潤は率直かつ果敢に言った。
「民衆と称せられる大多数の賤民たち」と。誰憚りなく、これほど正直な言葉を吐く者がいまあるだろうか?
内心そう思いながら、常にその賤民思想・大衆に阿諛し、利用する側に立つ社会主義者・エセ革新党派ほど、民衆から遠い存在はないのだ。
辻潤は暗澹と述懐する・・・
「民衆はオリンパスに憧憬する。彼ら自身の裡に、あらゆる暴政と、偽善と、あらゆる背理と、あらゆる奴隷根性の種子を蔵しながら、”凡庸と無資格のあこがれ”である民主主義に、日常の無事を願ってぬかずく」
この言葉は断じて民衆に対する侮蔑、絶望のあらわれではない。民衆自身の裡なる「怯懦」を撃つ”愛情”の逆説的表現なのである。
ゆえにいう、「わたしはいうまでもなく弱者・貧乏人の味方である。なぜなら自分が弱者で、貧乏人だからである」「わたしは夢をみているときにはアリストクラシーであり、目覚めているときはプロレタリアートである」

辻潤の実践したダダイズムとは要するに、なべての固定観念をかなぐり棄てた自由な人間の生きざまであり、この国のジャーナリズム、知識階級のありようは、そのような異端をついに許容しなかった。
  (略)
思想と結びついた生活がなく、建て前と本音とが乖離したこの国では、真に透徹したデカダンやニヒルの何たるかを人は理解できない。第二次大戦終結の前夜、辻潤は虱に喰われて陋巷に文字通り窮死した。

ー 松尾邦之助『ニヒリスト / 辻潤の思想と生涯』(1967年)



竹中労著『黒旗水滸伝・大正地獄編』中にこの引用を見つけたわたしは、早速図書館で松尾何某の本を探してみた。と、社会評論社より『無頼記者、戦後日本を撃つ 1945・巴里より「敵前上陸」』という本が2006年4月に上梓されている。
氏の略歴も附記されていて、
【1899〜1975年。静岡県生まれ。パリ大学高等社会学院卒業。新聞記者、評論家。大東文化大学教授。64年フランス政府よりアール・エ・レットル(芸術文化勲章)を贈られる。】とある。

率直に言おう、
「・・・「首相に招待されることを無上の栄光と思い込む文化人」等々、馬鹿の数が増えていることに(辻潤は)驚倒するだろうが、今も昔もその本質に変わりはないのである。」云々と述べている夫子自身、フランス政府=すなわち「国家」からの叙勲を受けているということは矛盾してはいないか?

嘗て辺見庸は書いた、「別に(日本)共産党が好きじゃないけど、ただ一ついいなと思うのは、「叙勲だけはお断りします」と。まあ当たり前のことなんだけどね・・・」

辺見庸の言葉を待たずとも、勲章をもらうということは国家権力と睦むこと、情を交えることに他ならない。それをしないのは、独立不羈の一個人としての最低限の廉恥であり矜持である。
わたしは日本に限らず、なべて「国家」と名の付くところから受勲した者たちを、その才能を認めつつも、一個の人間として到底好きになる事が出来ない。それが文化勲章であれ、国民栄誉賞であれ、紫綬褒章であれ、文化功労章であれ、レジョン・ドヌール勲章であれ・・・
わたしは最近、何故人はかくも「勲章」が好きなのだろうと考えている。(以前 『勲章 知られざる素顔』岩波新書 新赤版 という本を読んだのだが、まだまだ資料が足りない・・・)
  
かつて阪急ブレーブスで活躍した「盗塁王」福本豊が、国民栄誉賞を辞退していたということを最近知った。
その理由として「俺は酒も飲むしタバコも吸うし・・・決して人から褒められるような立派な人間じゃないから」ということらしい。

わたしは国から受勲しながら一方で戦争反対を言う人たちを心底から軽蔑する。
勲章を手にした瞬間から、彼らは「国家(お上)」と一身(一心)同体になっているはずなのだから。
故に仏国よりの受勲者、松尾某氏、アナーキスト辻潤について喋々するは僭越推参、自家撞着の婆伽者也と申しあげておこう。

附言して曰く、
「国家とは人々にとって、税金であり、監獄であり戦争であることの他に何であり得るのか?」
国家とは税金であり、牢獄であり戦争であるとともに、それらを正当化し名利ニ堕落セル才子を籠絡・懐柔する勲章であるのだと・・・

















2018年3月5日

春待たず、なぜ散りいそぐ梅の花


醉ウテ折ル殘梅の一兩枝
妨ゲズ桃李ノ自ラ時ニ逢ウヲ
向來(キョウライ)冰雪(ヒョウセツ)ノ儗(コ)ルコト嚴シキ地ニ
力(ツト)メテ春ノ囘(カエ)ルヲ斡(スス)ムルハ
竟(ツイ)ニ是レ誰ゾ

ー 陸游 「落梅の賦」


酒に酔って、僅かに散り残る梅の
一枝二枝を折る
桃や李(すもも)が、自分で良い時期を選んで花咲くのも
それはそれで構わぬ
だが氷と雪は厳しく張詰める大地に
かねてから力一杯春を蘇らせようとしているのは
結局誰なのか

春 待 た ず な ぜ 散 り い そ ぐ 梅 の 花 ・・・












2018年3月4日

大溷

汚い隅田川を観て、その末の篊(ひび)についた海苔を江戸の味などと喜んで賞味する人々を思ふと、あわれにも思われるし、またその汚い汚い流れーー大溷に大東京を貫かせて、それで文明がってゐる人々を思ふと、つくづく時代の自惚れというものの正体にも感心する
ー幸田露伴(「河川」)

わたしは東京オリンピックの前年に生まれた。当時から(東京の)河は汚いものだと思っていた。蒲田駅前から大森の方角へ伸びていた呑川も、多摩川の水も汚れていた。
そのような環境で育ったので、「綺麗な河のある東京」という発想がない。

けれども、わたしはそれが当たり前とは思わない。河の流れは本来澄んでいなければならないはずだ。

露伴は言う

時代の自惚れという奴で、誰でも自己の属してゐる時代をエライものだと思ってゐて、他の時代をば蒙昧のもののやうに信じてゐるが、それは自惚れ鏡の前の若旦那同然で、実際は何事も当人の思ったやうでも無いものである(同)

果たして今の世の中、21世紀の日本に生きて、いったい誰がこの時代に「自惚れる」ことができるのだろうか?
わたしはただ過去の世界の美しさへの郷愁と憧憬に焦がれるのみで、とても今の時代を誇らしいと思うことはできない。

露伴の言う「時代の自惚れ」というものに疑問を差し挟まざるを得ない。
本当に人々はその時代その時代、今の時代こそが最も啓けていると信じてきたのだろうか。逆に言えば、いつの時代も人々はかように無知蒙昧であったということではないか。
人間はなかなか自分の生まれ育った時代の精神から自由になることは困難らしい。

嘗て人類が単に「自惚れ」以上の、真に称賛に価する時代を持ちえたとは思えない。人間の「蒙」は、常に先行する時代より深まり、更にその闇を濃くしているということは言えるとしても。

この随筆の中に使われている「溷」という文字。読みは「コン」
意味は
みだれる(乱)
にごる(濁)
けがれる(汚)
まじる(雑)
はずかしめる(辱)
かわや(便所)
家畜小屋・・・等とある「大修館書店 新漢和辞典」

この溷の文字が今の時代を端的に表してはいないだろうか。
いや、今の時代こそが「溷」の時代だという思いもまた、さかしまの「己惚れ」であるのかもしれない。人類の歴史、その歩んできた道は、いずこも「大溷」であったはずなのだから・・・








2018年3月2日

不悉・・・

これまで、わたしにとってインターネットとは、海外のアート・サイトを閲覧・渉猟し、そこで見つけた絵や写真をブログに投稿することがすべてだった。
昨年暮れからはじめて本格的(?)に日本人の「ブログ」を読むようになった。
社会と隔絶した生活をしているわたしにとっては、へんな言い方だが、普通の日本人の生活を知るには、本人が書いたものを読むに如くはなかった。

暫く各世代のブログを読んでいて、いくつか気になった点がある。
先ず、現在年金で生活している人、或いは現実に生活に窮迫していない人の社会的行動が、如何なる動機によって行われているかという疑問である。
彼らは一方で、現政権の打倒を叫び、時には街頭に出てデモ行進さえしているが、「裕福」とまでは言えなくとも、お金に困っているわけではないので、デモの後には美食に舌鼓を打ち、結構頻繁に催し物にも足を運んでいるようである。

わたしのように精神のバランスを著しく欠いた者には、この「二重生活」というものが理解し難い。彼らの社会的行動は、別段「生存の必要から発したもの」ではない。デモ行進で拳を振り上げ、誰某の更迭、何々反対と叫ぶその手、その口は、別のところで何某の芸に拍手と歓声を送る。スマートフォンで写したペットや風景写真をブログに投稿し、たくさんの「いいね!」の反響を得る・・・社会の変革を望みながらも現行・現実の社会体制と手を携え、その齎す文化・技術・芸能によって、「反・社会的活動」で疲れた心身を癒すという矛盾・・・

もう一方の人たち・・・非正規雇用のワーキング・プアと呼ばれる人たちや、こころの病を持って引きこもっている人たち(わたし自身を含め)の書いたものを読む限り、彼らは全くと言っていいほど政治・政情には言及していない。彼らには、そんな「暇」も「エネルギー」もないのだ。ただその日その日を生きてゆくことだけで精一杯で、その日を生きていくために、その日のすべてのエネルギーが消費される彼らにとって、政(まつりごと)=「上の方」に目を向けている余裕などない。

けれども、彼らの宿命論に対しても、わたしは少なからぬ違和感を覚えている。確かに彼らにとって、このように「奈落」に生きることは自分の運命であって、それを変えることは不可能と思う気持ちも分からなくはない。現にわたしも選挙にはほとんど行ったことがない。(信頼できる政党や応援したいと思わせる候補者が皆無であるということが第一の理由だが、「もっとも過激な革命家でも、革命成った翌日から保守派に変わる」というハンナ・アーレントの言葉の持つ真実味がわたしを掣肘しているのも事実なのだ。)
わたしもまた、「人々の力」とか「我々」というものが「社会を変える」ことができるとは思えない。そのような現場を目撃したことがないのだから。

反・社会的行動に意味を見出しているような人たちは、おそらくわたしのような無為に対し、「それでは為政者の思うつぼ」だというだろう。けれども、わたしは敢えて、投票に行かないことで、社会の一員として、この社会に対しての「緩慢な自殺」に加担しているのかもしれない。社会が良くなるとは思わないのと、社会を良くしたいとは思わないというふたつの意識は、その底流に於いて繋がっているのではないだろうか。

わたしが前者の偽善的、乃至趣味的・遊戯的な「反」社会行動にも、後者の運命論的現実容認にも馴染めないのは、結局のところ、両者ともに望むのは一身の保身という点で共通しているかに見えるからだ。敢えて極論を附言するなら、シュプレヒコールや「粛々たる」デモ行進という旧態依然・古色蒼然、且て一度たりとも勝利を手にしたことのない方法によって今尚本当に社会の変革が可能だと思っているのだとしたらそれこそ噴飯物であり、わたしは寧ろ「机上の革命家たらんよりは街頭の暴徒たらん」とした難波大助の志操により強く惹かれるのだ。


わたしの理想は、繰り返しになるが、「国破れて山河在れ!」すなわち全き滅亡に他ならない。



フランソワ・トリュフォーの『黒衣の花嫁』で、夫となる人を誤って射殺した男たちを次々に殺してゆく女性に、神父は「憎む心で愛せるのか?」と詰問する。
否!「愛しているから憎む」のだ。「あなたのために狂えるのは私だけ」それが愛である。

わたしにとって国を愛するとは、即ち国という存在の全的消滅である。





「この世の出来事を承認しないこと、それはこの世が存在しないことを望むことである。 この世界が存在しないようにとねがい求めることは、今このままのわたしのような者が全体であるようにとねがい求めることである。」 ーシモーヌ・ヴェイユ 「カイエ」