2018年2月12日

ブログ紹介及び自己紹介

はじめまして。

こちらのブログはもともと' Myspace 'というSNSが無くなった後に、引き続きアートを投稿する場所として始めました。Clock Without Hands がそのブログです。
当時Myspaceの友達は全て外国人でした。勿論わたし同様、英語があまり話せない国の人も多くいました。
その後上記ブログからTumblrに移り今に至っています。

英語が通じない、或いは言葉が通じなくても、アート(絵画・写真)は言語の垣根を越えて人々との繋がりをもたらします。' Clock Without Hands ' は、便宜的に英語を使用しています。

Nostalgic Lightのプロフィールが英語なのは、わたしの知識の無さのため、Bloggerで新しいアカウントの取得が出来ず、Clock Without Handsのアカウント上で新たなブログを作ったため、「別館」のように見做され、同一の(元の)プロフィールが使用されているという事情です。

Clock Without Hands は、細々ながらいまだに世界中から見に来てくれる人々がいるので、そのことを重視し、プロフィールの変更は行っていません。



さて、わたしは東京在住の男性、です。1963年東京都大田区生まれ。
精神・知的障害を持つ引きこもりです。

このブログに書かれていることは、それが本についてであれ、映画や音楽の話題であれ、すべては、ひとりの孤独な精神障害者、引きこもりの内面の記録です。
多くのブログのように、記事の内容ごとにカテゴリーに分類することをしないのは、わたしのものぐさのせいと言うよりも、そのような気持ちに依るものです。

このブログを読んで(反感なり共感なり)興味を持たれた方は、こちらのブログ が日本語で書かれたわたしのメインのブログですので、そちらをお読みください。
(ここにも相当数の過去の記事がありますが、それらは主に上記ブログのバックアップの意味で転載したものです。)

お気づきのように、'Clock Without Hands' は「針のない時計」
'a man with a past' は「過去と共に生きる男」
共に「時の静止」を意味し、現代という時代に適応できない=したくない、いのちの在り様を表現したタイトルです。

IRA、アイリッシュ共和軍の公然組織の政党名は「シンフェーン」と言います。
これはゲール語で「我らのみ」という意味です。(『刑事コロンボ』「策謀の結末」をご覧になった方はご存知でしょう。)
しかしわたしは「我ら」のみ、ではなく「我」のみで生き、またこのブログを書いています・・・というとなにやら悲壮な覚悟の下に綴られた、大層なもののように思われてしまうかもしれませんが、所詮は泡沫(うたかた)の如きひとりごとです。

わたしは買い被られることがなによりも苦手です。
気軽な気持ちでわたしの内面と向き合っていただければなによりです。

みなといっしょに安息をえようとしてはならない。
みなとともに癒されてもならない。
他とともに陶酔するな。
他とともに変質するな。
他とともに変色するな。
唱和するな。号令に応じるな。気息を世界に合わせるな。記憶を彼らに重ねるな。リズムを合わせるな。声調を合わせるな。語法を合わせるな。
世界といっしょに目覚めるな。
世界とともに眠るな。
世界とともに憂いてはならない。
ともに慈しんでもならない。
世界と心をひとつにしてはならない。
世界と手をつないではならない。
ー 辺見庸『記憶と沈黙』より

Takeo (poboh)





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