かつて辺見庸は、「わたしが読みたくないものは「闘病記」と「人生論」だ」と言った。
人は自分の個有の生を生きるしかない。それはあくまで一回限りの個的(孤的)なもので、他人と共有し得るものではないし、一般化して「教訓」として活かすことができるものでもない。
◇
「病人介護のことも含めて家事に精出していると、何の変哲もないのがエコジョッブ(家事)だとつくづく感じ入る。たとえそれが人間の死というものにじかにかかわる作業となろうとも、死もまた生の必然の結末なのであってみれば、そこに騒ぎ立てるべき変哲の一抹も見いだせない。そう見るほかないのである。驚きに価するのは、むしろかくも変哲の少ない活動に、人は、とくに多くの女性が、一心不乱に取り組むことができたのはなぜなのか、ということのほうだと思われる。
昔、雄猫を飼っていた折、「こいつは、なぜ飽きもせずに、来る日も来る日も飯を喰って散歩をし、欠伸を繰り返して昼寝を楽しむ」ことができるのかとしばし考え、「この動物には生の活力が漲り溢れているからなのだ」、「人間の雄が新奇なものに興奮しているのは生きるエネルギーが涸渇しているせいなのだ」という答えに辿り着いた。家事をひたすらにやりつづける人間の雌たる女性は、ひょっとして、異常な活力の持ち主なのではないか。それにくらべて男性には、破壊的創造に過ぎぬイノベーションを創造的破壊と呼んで自画自賛しつつ、ノーヴェルティ(新奇)のイン(中)に淫する者が多い。」
ー 西部邁『生と死、その非凡なる平凡』(2015年)
西部邁の著書は、今回初めて手にとった。そのきっかけは、こういってよければ、彼の「美しい自死」であった。
わたしは己の人生を、自ら終(しま)う人に惹かれるところがある。
文化勲章をもらって天寿を全うする人たちよりも、人知れず自らのいのちを水の中に沈めてこの世から消え去るという生き方が、動物の一種に過ぎない人間としての身仕舞いという意味で、遥かに上等なもののように思われるのだ。
もうひとつ、わたしにとって大事なことは、言葉が通じるということだ。
思想・信条が必ずしも一致しなくとも、言葉が通じるということはあるし、逆に、反戦・平和・改憲反対・脱原発と叫ぶ人の多くと、屡々わたしは「言葉が通じない」と感じている。
わたしは言葉に関しては極端な保守主義を持っている。思想の内容以前に「形式」を重視する傾向があるのかもしれない。
きれいな(或いはまっとうな)言葉を話せる人であるなら、極右であっても、テロリストであっても、耳を傾けるに価すると思っている。人柄はなによりも端的に言葉に現れると思っている。
シェイクスピアに極悪人は数多登場するけれども、彼らの独白を聴いていると自然に悪感情が氷解してゆくのを感じる。殺人すらも、「言葉」により「浄化」され得ると・・・わたしがいわゆる「リベラル」と呼ばれる一群の人々と、どうしても肌が合わないと感じてしまうのは、その十年一日の如き紋切型のパロール(話し方)エクリチュール(書き方)のゆえだ。
「自分が直面する状況に対して実践的にかかわっていくなかでのみ思想が具体化されるのであり [・・・]
大仰と聞こえようが、「家人の介護をすることすらできずに思想だの哲学だの、片腹痛い」と(もう一人の)自分が考えているのである[・・・]
「一人の男と一人の女が生活を共にし、あまつさえ子供まで作った」というのはまるでお伽噺のような不思議な出来事であり、そのお伽噺の起承転結に全力で関わるのでなければ、そんな人間の喋ったり書いたりする言葉のすべてが重力を失ってシャラクサイものに変じ、単なる空気の振動もしくはインクの染みに化していくからだ・・・」
(同上)
思想は、それを下支えする日々の生活「その非凡なる平凡」或いは「平凡なる非凡」によって醸成されていなければならず、汗をかき、歯を食いしばりながらの日常という底流のない思想は羽毛のように軽いに違いない。
やはりわたしはその人がひとりの人間としてどのように振る舞ってきたかということを考えずにはいられない。
上記の引用に見られるように、西部は、身近な・平凡な実生活に参加することこそが、真の思想の土壌になると考えている。政治を語り哲学を論ずる前に、またはその大前提としての地道な家庭生活。「隗よりはじめよ」と。
・・・いや、結局のところ、わたしは彼の入水自殺というものの思想性に、その生の美学に、心打たれているだけなのかもしれない。そして同時に、およそ屈託というものの感じられない笑顔で、反戦や護憲を唱えている者たちの「微笑」が強いてくる屈託が、わたしの心の奥底のアンダーカレントとして滔々と流れているのを感じる。
「この世界に絶望する人がひとりでも増えること、それが希望です・・・」と語ったその人の、この世への訣別、その放棄・・・その一事に(言葉・思想を越えたところで)強く共鳴しているのかもしれない。
言葉が通じ合うものがいなくなったと感じた時、彼はこの世から去った。
わたしもその姿に容易に自らの遠からぬ未来を重ねて見ることができる。