百の目


詳しくはないのだけれど、過敏肌というのがあるらしい。肌が刺激に敏感だということだろうが、どのような刺激に敏感なのだろう?
目や鼻、唇のように、粘膜が外気に触れている場合や、耳も含めた感覚器官が、外界の信号=刺激に対して過敏であるということなら分かるのだが、表皮が過敏というのはいまひとつわかりにくい。

人間の「五感」は「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」そして「触覚」だが、触覚とは必ずしも「手」「掌と指」で触れることのみを意味するわけではないだろう。
他の四つの「感覚」は、「視る」「聴く」「嗅ぐ」「味わう」という風に能動的だが、触覚に関しては「触れる」と「触れられる」はほぼ同義である。


あなたの
髪に触れる
頬に触れる
唇に触れる

肩に触れる
腕に触れる
胸に触れる
お腹に触れる

脚に触れる
膝に触れる
性器に触れる

けれども決して触れないもの
それはあなた自身

誰の詩だったろう、今思い出せないのだが、そんな詩があった。

彼女の手は彼のからだに触れているけれど、同時に彼の身体のさまざまな部位が彼女に触れている。



花粉にも敏感な肌というのがあるのだろうか?この時期、花粉症で目や鼻がたいそう辛い人も多いだろう。そういえば水木しげるの妖怪図鑑に「百目」という妖怪があって、この妖怪はその名の通り身体中至る所にに目がある。元になったのは北斎派の「百々眼鬼」(どどめき)という妖怪らしい。
今のように花粉症などというアレルギーがある時代には百々眼鬼も百目もさぞ大変だろう。

目があるということと、「視る」ということは同じことではない。感官を持つことと、感じることは同じではない。視るということは、本来は観ている世界に意味づけをすることだ。
世界は単に物理的な刺激の集合体ではなく、それぞれの主体にとって快・不快の感覚を伴い、同時に意味を持って立ち現れる。

百の目を通して、百もの違った位置・角度から世界がわたしの中に入り込んで来たら、全身に錐をもみ込まれるような感覚のなかで、わたしはきりきり舞いをしてしまうだろう。